警察官の僕が見た生々しい動物虐待の現場


リクストリーム管理人の元警察官・桜井陸です。

今回は現場で見た動物虐待についてお話しします。

動物虐待とは餌を与えなかったり暴力をふるう行為を主に想像すると思われがちですが、僕が見たのはもっと生々しくてどこにでもある話です。

(プライバシーの関係上、内容は一部変更しています。)

喧嘩する声が聞こえると通報

夏の午後2時ころ。

僕がバイクに乗ってパトロールしていると無線で指令が入る。

「人の喧嘩する声が室内から聞こえるとの通報を受けた。至急現場に向かえ、場所は…。」

 

室内で喧嘩ということだから夫婦喧嘩か兄弟喧嘩か。

家族同士でも殺人に至るケースは多いので僕は急いだ。

現場にはパトカーも到着しており、総勢で6人ほどのチームが出来た。

警察官は単独で現場に飛び込むと反撃されて拳銃を奪われるケースもあり、必ずチームを組んで部隊行動が鉄則となっている。

インターホンを押しても応答がない

発生現場はハイツの1階で、見るからに家賃は低いであろう造りだった。

つまり失礼な言い方になるが低所得者層の住居である。

僕たちは玄関に集まりインターホンを鳴らす。

 

だが応答はない。

何度鳴らしても応答はなく、ノックしても無無反応。

ハイツ裏の庭側に回り窓をコンコンとノックする。

これも応答がなく室内から話し声すら聞こえない。

ここで応答がないので現場から引き揚げます、というわけにはいかない。

室内で喧嘩をしていてノックに出ることができないということも十分にあり得るからだ。

 

それではどうすれば室内に入ることができるのか。

そもそも許可なく室内に入ることは法律的に許されていないはずだと思われるだろう。

この場合、警察官には室内に入ることが出来る法律がある。

警察官職務執行法という法律の第6条には立ち入りという項目があり、これには

人の生命、身体又は財産に対し危害が切迫した場合においてその危害を予防し、損害の拡大を防ぎ、又は被害者を救助するため、已むを得ないと認めるときは、合理的に必要と判断される限度において他人の土地、建物又は船車の中に立ち入ることができる。

と記載されている。

これは要約すると緊急時には他人の家に許可なく入ることを許可しますという法律である。

警察官職務執行法は略して警職法と現場で呼ばれており、警察官の大切な武器となっている。

これを知らないで働くことは自分はおろか救えるはずだった他人の命すら奪ってしまう結果にもなる。

職務質問の定義や酔っ払いの保護、そして拳銃の使用まで全てこの法律に明記されており平素から頭に叩き込んでおかないといざという時に「執行力の弱い全く使えない警察官」となってしまう。

僕はこの警察官職務執行法第6条を使用してこの家に入ることとした。

玄関ドアは施錠されていたため、庭の窓から入った。(入り方は割愛)

部屋の中にいたものは

1DKの狭い部屋だった。

怒鳴り声もしない。

夏の熱気だけが生活臭と一緒にプーンと漂う。

台所とテーブル、ごみ箱だけが置かれた簡素な部屋だった。

誰もいない。

よくある通報者の聞き間違いだったのか。

 

玄関を見ると靴が雑多に脱ぎ散らかされている。

部屋の雰囲気から見るに恐らくこの部屋の住人は男性だろうなと思った。

だれもいないなら引き揚げよう。

これで事案は発生していないことが証明できたので堂々と帰還できる。

と思った時、玄関前に異常な存在感を感じた。

繋がれたままのハスキー犬

誰もいない狭く暑苦しい部屋。

この部屋に、たった一匹のハスキー犬が繋がれていたのだ。

灰色の大きなハスキー犬はボロボロになった毛布の上で伏せていた。

僕たちが部屋に入っても鳴くことはなく、ただ一点を見つめていた。

その横には空になった鉄製の水入れが置いてある。

 

こいつはこの部屋で何を待っているんだろう。

夏の午後、誰もいない部屋でこの犬は何をしているんだろう。

何を見て、何を考えて、何を楽しみに生きているんだろう。

大型犬が1メートルも満たない短い金属の鎖に繋がれている異常性。

極寒地方で生まれたシベリアンハスキーが、猛暑の狭い室内で一日中繋がれている悲惨な状況。

 

僕は飼い主に猛烈な怒りを感じた。

以前にツイッターで獣医が「低所得者層はペットを飼うべきではない」というツイートをして物議を醸したことがある

 

反論者はこの現状を知らないんだろう。

たとえお金がなくても動物をきちんと飼うことができるならいい。

僕は動物の尊厳を根底から無視する行為を断固としてするべきではないと強く主張する。

このハスキー犬だけではない。

虐待された多くの動物を見てきたのだ。

生きる尊厳を勝手に放棄された犬たち

狭いケージで暑そうにハァハァとベロを出して飼われている複数のミニチュアダックスフンド。

真夏でもクーラーもつけず、泥酔して寝込んだ通報マニアとその横で力なく眠るミックス犬。

土砂降りの豪雨の中、庭先に繋がれたままで忘れられたゴミのように頭から雨を浴びるコーギー犬。

叩かれ過ぎて頭を撫でようとするとギュウッと目を閉じる柴犬。

尿が染み付いても取り替えられることなく真っ黒になったおしっこシートの上で眠る成犬。

 

飼っちゃいけない。

こんな人は動物を飼っちゃいけないんだよ。

 

多くの通報者は自分の権利を主張する。

その横で力なく寝込んでいるのは何の罪もなく、生きる権利すら認められない動物たちなのだ。

動物は飼うというよりも共存するものであり、だからこそ尊厳を認めてあげないといけない。

 

ご飯や水を与えて散歩にも連れて行く。病気になれば病院に連れて行く。

出来るだけ寂しい思いをさせない。

たったこれだけのことが出来ないのなら、安易に動物を飼ってはいけないのだ。

 

酔って大声で夫婦喧嘩する横で、犬は震えて飼い主を見ている。

現場にいた夫婦はもちろんどの警察官もそこには無関心だった。

それでも僕は見ていた。

震える犬の命乞いするような表情。

犬はこのアルコール依存症の夫婦に自分の生命を全て預けている。

嫌われたら生きていけない。

 

 

他人を愛することができない人には動物を飼えるわけがないのだ。

自分の権利しか主張できない人間に動物の権利なんて理解できるはずないのだ。

おばあさんと共存するミニチュアダックスフンド

僕が訪れたとある一人暮らしのおばあさんの家には老犬のミニチュアダックスフンドがいた。

狭い長屋にこのおばあさんは犬と共同生活していた。

足腰が弱ってろくに歩けないおばあさんはこの犬をパートナーのようにしていた。

 

特に溺愛することもなく、ただ犬の背中を撫でた。

それが日常の光景に見えた。

 

犬はおばあさんの横に座り顔をじっと見つめ、飽きるとおばあさんのベッドまで走る。

ベッドの下には老犬がベッドに出入りしやすいように小さな階段が置かれていて、犬はその階段をトトッと上ると布団に潜り込む。

 

おばあさんは何気なく言った。

この子が先に死ぬか、私が先に死ぬかだねえ。

 

古い長屋の台所横にはごみ箱がおいてあり、中には老犬用の缶詰が捨てられていた。

僕の視線に気づいたおばあさんは笑って言う。

年金も少ないのに、この子は高い缶詰しか食べないんよ。

 

僕はおばあさんに聞いてみた。

おばあちゃんはこの子好き?

おばあさんは照れたようにフフッと笑うと、

さあねえ

と答えた。

 

ゆっくり、ゆっくりとした時間が流れていた。

あのおばあちゃんは元気にしてるかなあとふと思い出した。

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